心の交流コンサート(@南三陸)レポート by萩原ゆたか(シンガーソングライター)
2014年7月26日~28日/
昨年11月に引き続き、南三陸の地域支援ネット「架け橋」リーダー、中澤竜生先生のコーディートの元、東北応援団 ラブイーストさんからの派遣で伺わせて頂きましたので、地域の皆様の様子をご紹介すると共に、ご報告させて頂きます。
<行程>
1)26日(土) 宮城県 南三陸町
戸倉中学校グランド仮設住宅 コンサート
2)27(日) 登米市 イエス福音教団 宮城教会 礼拝賛美
3) 岩手県 一関市 大籠キリシタン資料館 見学
4) 28(月) 南三陸町 山の神平仮設住宅
「茶話会 + 押し花作り」
5) 南三陸町 ハイムメアーズ
(介護老人保健施設)コンサート
<やさしさと希望をお届けする>
地域支援を続けられているクリスチャンが集まり、今年1月に、星野富弘氏の詩画展を南三陸各地で催され、詩画と氏の生き様に多くの方が慰めを得たそうです。
その際に起用されたサブタイトル「優しさと希望をお届けする」シリーズの続きとして、今回私達のコンサートにサブタイトルをつけて頂き、万年崇子(キーボード、サポート)、萩原正典(音響、運転)と共にチームを組んで回らせて頂きました。
<全体の様子>
※「架け橋」HP内に、今回の写真を沢山掲載して頂きました。是非ご覧下さい。
→「活動予告と報告」タブ → 7月26-28日…にあります。
<それぞれの様子>
◆1)26(土) 戸倉中学校グランド仮設住宅 集会所に、90代を先頭に30名程の方がお集まり下さり、身体を揺らしたり、手拍子をしながら、盛り上げ、楽しんで下さいました。こちらでは、外からのイベントが沢山行われているそうです。
仮設のリーダー Sさんに伺ったところ、他の仮設には、既に気心知れた、元同地域の方がまとまって入居している所もあるそうですが、こちらは、別々の地域の方が集められた仮設なので、皆さんが顔を覚え、馴染むまでに半年以上かかり、支援物資の均等な配布や、親睦を図る努力を丁寧に積み上げてこられ、その努力あって、とてもよい関係が築かれたそうです。
最近は、外からのボランティアに対し、せっかく遠くから来るのだから、来た人にも、来てよかった…と思ってもらえるようにお迎えしている…との事でした。もはや支援者と被支援者の関係ではなく、支援の思いに答えようと受け入れて下さる、相互の心の交流の場である…と感じました。励まされ、楽しい時間にして頂けました事、本当に感謝でした。
こちらでは、ボランティアを通じて、ホームページで活動を発信しています。今回の動画・写真をアップして下さいました。ご覧ください。
また、HPでは、狭い仮設住宅で生活を続けておられる皆さんの、地域コミュニティーに必要な資金のために、『やわらかくて おいしい 南三陸産ワカメ』の販売をしているそうです。是非、ご利用頂き、南三陸の話題と共に、ご近所にもお分け頂けましたら幸いです。(隣接する仮設の為にも使用されているそうです)
◆2)27(日) 登米市にある 宮城教会 は、見晴らしの良い田圃の中に現れる美しい教会です。礼拝にて、賛美と証の時間を頂きました。南三陸町は壊滅的な被害を受けて土地が少ないため、隣接する登米市には、南三陸町の方が入居する、大きな応急仮設住宅があります。こちらでは、中澤先生方とチームを組み、訪問して下さっているそうです。震災から3年半が経って、支援縮小の流れの中にもかかわらず、ケアするチームが少しずつ拡がっている事に感謝しました。

逆に、現地支援されている皆さんも、震災直後からの長期支援のなかで、時に疲労困憊されるそうです。外部から伺って交流する事が、少しでも元気の素になればと願いましたが、実際は 教会の皆さんのアットホームなおもてなしに、こちらが優しさを頂きました。
◆3)午後は、支援地域近郊の歴史を学ぶ事も益となるでしょうとの事で、一時間程北に走った岩手県との境にある「大籠キリシタン資料館」を、教会の方にご案内頂きました。

戦国時代にキリシタンが多く働く「たたら製鉄所」があったそうです。秀吉の世にキリシタン禁制がしかれた折、質の高い鉄を生産していたため、当初、地元の殿様から見逃されていましたが、次第に中央の圧力から逃れられず、日々の踏絵により キリシタンを捨てなかった数百人の方が処刑されたという場所が、美しく静かな森に眠っていました。
ひっそりと眠る歴史…という印象でしたが、よく考えれば、僅か四百年前から明治時代まで続いた実際にあった史実です。その後、地域の皆さんの心情に少なからず影響があったのではないかと思いました。色々感じる事がありましたので、詳細はまたブログなどに記したいと思います。
◆4) 28(月) 山の神平という小さな仮設 での茶話会は、宇都宮教会のご婦人が丹念に用意された美しい押し花を 万年さんがお持ち下さり、「押し花作り」の一時となりました。控えめな奥様が「いつも先生方には大変お世話になって…」と気遣いされ、とても遠慮がちでした。
ところが、押し花は かなり個性が反映される事が分かり、作品を見せ合いながらすっかり賑やかになり、以前からの友人のように、冗談や笑い声が飛び交う とても和やかな時間となりました。
おもてなし頂いたお芋と漬物、お菓子を感謝して頂き、すっかりお腹も満たされ、皆さんとウクレレで一曲歌って素敵な時間を終えました。

決して作り笑顔でない、屈託のない笑顔と少女のような瞳の輝きを見て思いました。こんな機会があって、素敵な仲間がいれば、本当は楽しくて明るい事もお好きな奥様方なのでしょう。震災前はそれもあったのでしょう。でも、震災後の状況がそれを阻むのかもしれません。
み言葉が書かれたしおりを選んで作った婦人の言葉が印象的でした。本を読むのが好きで牛乳パックでしおりを作っている。こんな綺麗なしおりが作れて嬉しい…と。しおりを作る素材にすら事欠く状況を垣間見た気がすると同時に、日々、孤独の中で暮らしておられる方々の所に、時々出向いて行く事の必要を感じました。
◆5)28(月) 南三陸町 ハイムメアーズ(介護老人保健施設)は、三陸の外海が見える高台にあります。職員の皆さんが作って下さった、夏祭り風のステージで、60名程の皆さんご参加の元、コンサートと交流の時を持たせて頂きました。
人生の大先輩方が、穏やかなお顔で 一生懸命歌を聞いて下さいました。私が体調について話せば 心配そうに頷いたり、ハワイアンな衣装で ウクレレと共にハワイから届いた応援の気持ちをお伝えすると 一緒に歌って下さいました。
コンサート後の挨拶では、身体に気を付けて…、また来てください…と、大先輩の皆さんの 大きな懐の中に受け入れて頂いている…そう感じました。又、数日後には、ご入居の方から丁寧なお礼状まで届き、一時がもたらす豊かな心の交流を感謝しました。
※ハイムメアーズfacebookページの7/29投稿に、当日の様子がリンクされています:
<支援者の思い>
1) 医療を通じての支援:
ハイムメアーズさんでは、もう一つ素敵な出会いがありました。施設長の中村幸夫さんは、日本では貴重な産婦人科医でいらっしゃいますが、また是非南三陸で…とお声かけ頂き、ご自身が執筆された 新聞連載記事を頂きました。後程、拝読し感銘を受けました。
震災後、青森県弘前市から医療支援のお立場で大槌町に入られ、そこで長期支援の必要を感じ、陸前高田では仮設住宅での暮らしをしながら支援を続け、気仙沼を経て、この春より南三陸町に移り住まれました。
将来を見据えて、地域ぐるみの包括的ケアのために色々な専門家と協力しながら、ご自身の生涯をかけて、復興への道を一歩一歩 実現に向かって歩んでいらっしゃるお姿に感銘を受けました。
このような人道支援の思い、人間に対する愛情を持って生涯をかける方々のお力は、被災で多くを無くされた地元の皆さんにとって、どれだけ力強い励ましとなる事でしょう。現実的な助けとなり、確実に復興を後押しされている様子を垣間見て、10年後、20年後の町の発展を想像しました。
また、中村先生は、架け橋の中澤先生と協力して、仮設住宅に住む方々を対象に、医療相談訪問をするプロジェクトを始めたいと おっしゃっていました。地域密着で細やかな関係を築いてこられた中澤氏だからこそ、こういった実質的な支援に関わられる事を思いました。
2) ハワイからの思い:
また、今回は、ハワイのウクレレメーカー、KoAlohaの社長 Alvin Okamiさんが震災後の日本を思って作られた「なんでもできる」という曲を使わせて頂きました事を感謝いたします。ご一緒にUkulele Praiseという活動をされているJon Yamazaki先生が 昨年ウクレレを持って来日された折に伺った、ハワイから被災地を思う熱い気持ちをご紹介しましたところ、皆様心に受け止めつつ、歌を楽しんで下さいました。
※「Nandemo Dekiru」は、iTune ストアで購入できます(アーティスト名:Alvin Okami)
3) 継続支援の必要:
まだ支援の必要な地域は多いですが、南三陸町の場合は、土地がなく、以前の市街地を土で嵩上げしたり、居住地のために山を削って均す、というところから始まり、やっと片付いた街中も、仮の商店以外、まだ何もない状態です。
復興住宅が行きわたるのにまだ4-5年かかるだろうとの事。つまり、一時的な目的だった応急仮設住宅に、既に3年半、今後まだまだ、生活の基盤が整うまでには、気の遠くなるような時間がかかります。そんな強いられた状況の中、傷ついたまま、現実と向き合っておられる方が、まだまだ多くいらっしゃる事をどうぞ忘れないで頂き、これからも、心にかけ、祈り、ご支援頂けますようお願いいたします。
<最後に>
今回も、東北応援団 ラブ・イーストさんのお働きに賛同された皆様の尊い捧げものに助けて頂きました事を心から感謝申し上げます。私達は小さなグループです。しかし、皆様の応援と祈りに支えられ、丁寧な被災地ケアを続けておられる西仙台教会の中澤先生ご家族を始めとする、地域支援チームの皆様に助けて頂きつつ、全ての時間が祝され、皆様の思いが幾らかでも伝わったのではないかと感じました。
チームの皆様は、ご自分の将来や、経済的な事は2の次3の次にされて、地域の皆様のケアに心を砕き、知恵を絞り、良き関係作りに邁進しておられます。チームの皆さんの為にも、是非覚えてお祈り頂き、それぞれのHPなどからもお捧げ頂けましたら感謝に思います。必ずや、皆様お一人お一人の愛が結び合わされて大きな力となり、地域ケアの必要に届く事でしょう。
http://www.kakehashi2013.com/ http://yokiwaza.jimdo.com/活動予定/
◆追記:お詫びと昨年11月のご報告:
実は昨年、2013年11月22-24日に渡り、同じく南三陸町関連の仮設住宅で支援コンサートをさせて頂きました。その後、レポートを書き、事務局の皆様には下書きをご提出致しましたが、HPに公にアップする段階になり、誰かを傷つけはしまいか…と、あまりに色々な事に出会ったゆえ、考えすぎてしまい、結局アップ出来ませんでした。ご支援頂きながらご報告が出来なかった事をお詫び申し上げます。
※2013年11月の訪問場所:
1)登米市南方イオン跡仮設住宅 2)小森仮設住宅 3)志津川小学校仮設住宅 4)志津川中学校仮設住宅 5)2011年6月にコンサート会場となった、歌津のS家を訪問(以上)
あれから8か月経って思う事は、当時、震災から2年8か月が過ぎ、もうすぐ3年になってしまう…という状況の中で、政治や支援状況の変化もあり、地元の皆様の心の動揺など、大変微妙な時期であったので、私も敏感に感じてしまっていたようです。その後、大変心が重くなりました。

今回は、震災後 3年4か月経って、皆さん(人によりますが)、どこか腹をくくったような様子を感じる事もありました。未来に向けてここから発信するのだ…という言葉も聞きました。復興とは、建物や街づくりだけなく 人の気持ちや生活を指しますので、出来る事は小さいですが、応援を続けさせて頂きたいと思いました。
出会わせて頂いたお一人お一人に、神様からの祝福が更に注がれる事を祈りつつ、また、皆様のご愛に心から感謝し ご報告とさせて頂きます。長文、お読み頂きありがとうございました。
心からの感謝をこめて
萩原ゆたか